気がつけば、ここはメキシコだった

メキシコ在住ライター、小さな食堂『EN ASIAN FOOD』のおばちゃん、All About メキシコガイド 長屋美保のブログ

消費されるバリオと貧困エンタメへの悶々

今週末のおすすめイヴェントはメキシコシティのバー、プルケリア・インスルヘンテスで開催のStatic Discosナイトです。チャージ無料。
 

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詳細は以下より▼
 
米国境の街ティファナのレーベル、Static Discosについては、この記事にレーベルオーナーのEjivalのインタビューが掲載されています。
 

www.ele-king.net

そのStaticのニューカマー、シナロア州出身のアーティストSchezも登場します。
音はここ▼で聴けます!ゆるやかダビーでいいです。
ナルコ(犯罪組織)文化の拠点、シナロア州にも、ナルココリードやノルテーニョを演奏しないアーティストだっているんですよ!
ナルコ・コリードといえば、現在日本で絶賛公開中のドキュメンタリー「皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇」に、LA在住のナルコ・コリード歌手が登場します。歌の内容はバリオ(スペイン語で「居住区」の意味。メキシコでは低所得者層の住む下町を指すことが多い)出身でナルコの一員として成り上がってやるぜ、というようなことをテーマにしていて、安全な米国にいながらも、バリオ臭を売りにして成功しているわけですが、日本で、ギャングスタ・ラップ好きが「どや」って感じで、悪ぶりをアピールするのと同様の嘘くささを漂わせています。
 
私が「バリオ」という言葉に初めて接したのは、チカーノ(メキシコ系アメリカ人)や、ラテンアメリカの新しい音楽文化を日本に紹介する音楽配給会社、ミュージックキャンプのレーベル、BARRIO GOLD RECORDS(バリオゴールドレコード)からでした。
バリオを冠したそのレーベル名は、ミュージックキャンプ代表の宮田信さんが、永年関わるロサンゼルスのメキシコ系移民居住区であるイーストLAのコミュニティ(すなわちバリオ)からきています。バリオとは、その土地の人々への愛や連帯感からくる言葉であり、そんな本質を教えてくれたBARRIO GOLD RECORDSに感謝しています。
 
だから、ベースもないのに、単に雰囲気で「バリオ」を枕詞にするノリは好きじゃないです。それはまるで、「バリオ」という言葉をポーズや雰囲気のために使っていて、「他者からみたゲットー」的な位置付けでしかない。
 
最近メキシコでも、やたら「バリオ」という言葉を使うのが流行っているようで、私たち夫婦が住むメキシコシティ中心部(セントロ地区)に、その名も「Cerveceria del Barrio(バリオのビアホール)」という、スノッブ層に人気の居酒屋チェーンがオープン予定です。メキシコシティのいわゆるオシャレ地区である、コンデサやローマ地区で繁盛している店なのですが、かつては、犯罪多発地区であり、その名残もまだあるセントロ地区にオープンするとはなあ。
 
さて、Cerveceria del Barrio建設予定地の目の前の、アラメダ公園のわきに、今スノッブ層に人気のCANCINOというピザ屋の支店もオープン。

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なんでも、このピザ屋が入っているビルは、「バリオの中のヒップスター・ビルディング」になるそうで、ギャラリー、洋服屋、スニーカー屋、タトゥースタジオ、メスカル屋、床屋などなどがテナントで入るんだって。

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しかし、ちょっと前まではシンナー吸ってるひとや、カツアゲする輩がたむろしていたこの場所に、ヒップスタービルかい。まさにバリオのジェントリフィケーションがものすごい勢いで進んでいるのを象徴するようです。
 
メキシコシティの都市改造計画は、元NY市長のジュリアーニの指導をベースにしているそうですが、セントロ地区の多くのビルがメキシコ最大の通信会社のTELMEXの社長、カルロス・スリムを筆頭に、資産家に買収されています(確かスリムはNYが荒んでいた当時に土地を安く買っていることもあったくらい、大都市のジェントリフィケーションに目がない)。
 
この話を最近会った女性記者にしたら、「セントロは表面的にきれいにしても、裏ではかなり、ハードな現実があるから、甘ちゃんなヒップスター層がとけ込もうとしても、この地区にいる人たちとはうまくいかないに決まっている」と断言していたのですが、あながち間違ってない気がします。さて、どうなるでしょう。
 
カツアゲが減るのはありがたいですけど、街がジェントリフィケーションによって、個性を失い、均一化されるのは、果たしていいことなのだろうか…...いや違うだろう。
 
クンビアの流行や、バリオのサウンドシステムのソニデロが、スノッブ層に着目されたことからもわかるように、メキシコでの「バリオのスノッブ化」「中流〜上流階級向けのバリオの切り売り」は今にはじまったことではありません。
とにかく、やみくもに「バリオ」という言葉を使われると、なんだか痛い。
 
ところで、バリオのジェントリフィケーションについて、思い出したことがあります。
 
かつて、キューバに住んでいた日本の友人が、
 
「”貧しくても楽しく暮らしてる”みたいに、キューバの人たちの暮らしぶりを語る奴、ムカつくんだよね。みんな貧しいのは嫌なんだよ、いい暮らししたいと思ってるだろうし。つーか、あたしだっていい暮らししてぇ〜」
 
といっていたのをよく覚えていて、すごく正直でいいなと思ったのです。
 
たとえば「キューバが米国とうまくいったら、変わって面白くなくなる」とかいうのも、なんか上から目線な発言な気がします。
「発展すると面白くないから、そのまま留まっていろ」、ってのはお門違いだと思うんです(だからってジェントリフィケーションが良いわけではけっしてありませんが)。
その見方は、人の貧困をおかずに、たくさんご飯を食べるような「貧困エンターティンメント」のような嫌らしさがある。その根底に、「大丈夫。あの人たちと比べたら私はマシ」という考えがあるような。
 
数年前の話ですが、ある日本人女性がメキシコを訪れて、ラテンアメリカでの滞在を面白おかしく書いて本にしたいと考えているといいました。キューバも自分で商売をやる人が多いのですが、メキシコでも、街角で食べ物を売る人、地下鉄内で海賊盤CDを売る人、車の窓ふきや、ピエロ、火を吹く大道芸師など、さまざまな商売をやって暮らしている人が多い。それが新鮮で面白いのだと。
 
それは、日本に住んでいる人にしたら珍しいだろうから、当然の感想だと思うのですが、問題は彼女が、こう発言したことです。
 
「それで、さっそく本になりそうな強烈なネタを知って。知り合いからきいたんですけど、メキシコシティの地下鉄のなかで、ガラスの破片をしいた布の上に上半身裸で寝転がって身体を傷つけるパフォーマンスをする人がいるそうですよね。面白いからネタにしようと思ってるんです〜」
 
私は、同情を利用し、自分の身体を傷つけてお金をもらう人は嫌いですが、それを面白がる奴はもっと嫌いです。
貧困エンターテインメントに浮かれている彼女の様相をみた私は、カチンときて、はっきりといいました。
 
「みんな何らかの手段で必死に生きているんだよ。その人たちのことを笑いのネタにするなんて、見下したような発言はしないでほしい」
 
彼女はそれ以降、私に対してよそよそしくなったのですが、むしろ、それで良かったと思います。
 
彼女に金輪際会うことはないと思いますが、次回、同様なことをいう人にあったら、正面からこう告げようと思います。
 
「おまえを彩るために他人の誇りを使うな。
そしておまえが気がついていないことをいってやろう。
本当に貧しいのはおまえだ」
 
 
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